NIKE AIR MAX 1
“THE WAVE”
エアを視覚化することでランニングシューズの新たな境地を切り開いたAIR MAX 1。
オランダはアムステルダムのブティック、Pattaとの最新コラボレーション第2弾が登場。伝統的なデザインをアレンジして、カルチャーの“波”を表現。 スペシャルなストーリーを持つ一足をチェックしよう。History of AIR MAX 1
革新的なアプローチで誕生した
“NIKE AIR”のシンボル
1978年にテイルウインドウが始めてエアを備えたランニングシューズとしてデビューしたものの、エアがすべてミッドソールに包まれたことで、ユーザーの認識度が高められないジレンマを抱えていたナイキは、エアの露出が80年代のテクノロジー全盛期に必要なアプローチだと考えた。すべてのアスリートは、ライフスタイルに彩りを与える、刺激的なシューズを求めていたのだ。
異端のランニングシューズを
生んだパリの名建築
AIR MAX 1のデザインインスピレーションは、パリ4区のサン=メリ地区にある文化施設、ジョルジュ・ポンピドゥー国立芸術文化センター。工事現場の足場かのような剥き出しの設計が物議を醸したが、それは歴史的な建物が並ぶパリの景観を破壊したくなる、建築家のレンゾ・ピアノによる芸術的インパルスを形にしたものだった。同じようにAIR MAXはランニングシューズの異端児として輝いた。
機能とデザイン性が共存する
“視認できるエア”の始まり
テイルウインドウをはじめ、80年代のシューズに内蔵されたのはエンキャップ エアと呼ばれ、長く採用されたベーシックなユニット。しかしその形状でエアの容量を増やすには限界があることに気づき、マックス エアの開発がスタートした。ミッドソールに窓を作ることで、衝撃とともに変形するエアバッグを横方向に逃すデザインが採用された。それは同時に、テクノロジーの可視化と結びついた。
AIR MAXを生み出した
建築家出身の天才デザイナー
AIR MAXの生みの親は、ティンカー・ハットフィールド。オレゴン大学で陸上生活を続けながら建築学を専攻した氏は、1981年に建築家出身のデザイナーとしてNIKEに入社。エアのテクノロジーをより馴染みのあるものにデザインするために、建築家としての知恵を振り絞った。パリで見たポンピドゥセンターの衝撃を着想源に、エア ユニットを可視化しようと思いついたティンカーは、帰国してすぐにデザイン画をおこし、1987年のAIR MAX 1に向けて開発がスタートした。
2004年、オランダのアムステルダムで誕生したPattaは、
ヨーロッパの枠を越え、世界で最も熱気のあるキーアカウントへと成長したスニーカーブティック。 まだオランダに、スニーカー専門店が存在しなかった頃、並行輸入から歴史はスタートし、自らのブランドを設立。 NIKEとは数多くのモデルをこれまでコラボレーションによって制作してきたが、 5周年を記念した“Anniversary Green”から立て続けに “Anniversary Denim”、“Cherrywood”、“Purple Denim”などがリリースされるなど、 AIR MAX 1はPattaにとって特別なモデルである。“THE WAVE”
インディペンデントなブラックカルチャーを背景に、さまざまな文化とクロスオーバーしてきた“Patta”。
彼らが常に掲げる理念は“THE WAVE=波”を生み出すこと。 自らの意志を表明することが、他者が作り出す新しいカルチャーのきっかけになる、 その有機的なサイクルを寄せては返す波になぞらえて、デザインされたのが今回のAIR MAX 1だ。 革新的なデザインプロセスから誕生し、今やランニングシューズの枠を超え、 多様なコミュニティで愛されるAIR MAX 1は、 彼らが理想とする“波”を体現するのにふさわしいモデルなのだ。
NIKE AIR MAX 1
“THE WAVE”
DH1348-004
¥18,150 (tax in)