BOB MARLEY x atmos | 日本の音楽史に新しい風を吹き込んだ伝説のジャパンツアーを蘇らせる。
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BOB MARLEY x atmos

日本の音楽史に新しい風を吹き込んだ伝説のジャパンツアーを蘇らせる。

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2024年春に全国公開した伝説のレゲエミュージシャン、ボブ・マーリーの生涯を描いた映画「ボブ・マーリー:ONE LOVE」の公開を記念としてリリースし、好評を得た『ボブ・マーリー』コラボレーションTシャツの第二弾です。

1979年4月、アジアとオセアニアを巡る “バビロン バイ バス” というツアータイトルで、レゲエの神様『ボブ・マーリー』が来日。
日本での初めてのツアーは、東京と大阪の2都市での全8公演を開催しました。

第二弾のコラボレーションでは、そのツアーの中で1979年4月10日に中野サンプラザホールで行われたライブをイメージし、70年代のジャマイカのライブフライヤーの雰囲気を踏襲したデザインをフロントにプリント。
バックには、ボブ・マーリー財団を通して得たそのライブでのセットリストをプリントし、当時のツアーTシャツを彷彿とさせています。
「ジャマイカ」という国のカルチャー、「レゲエ」というジャンルもなかった日本の音楽シーンに『衝撃』が走り、新しい『風』が吹き込こんだ歴史的なツアーとなりました。

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本コラボレーションTシャツは、今もなお、世界中のファンから愛され続けている『ボブ・マーリー』の歴史的な日本初ツアーの記憶を蘇らせる逸品に仕上がっています。

Products

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“BABYLON BY BUS” T-shirt

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M 〜 XXL
¥7,700(税込)

商品ページはこちら
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“BABYLON BY BUS” T-shirt

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M 〜 XXL
¥7,700(税込)

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サイズスペック

M:着丈70cm / 身幅56cm / 肩幅50cm / 袖丈23cm

L:着丈72cm / 身幅59cm / 肩幅52cm / 袖丈24cm

XL:着丈74cm / 身幅62cm / 肩幅54cm / 袖丈25cm

XXL:着丈76cm / 身幅65cm / 肩幅56cm / 袖丈26cm

about Bob Marley

1945年2月6日 - 1981年5月11日、本名:ロバート・ネスタ・マーリー / Robert Nesta Marley

ボブ・マーリーは、ジャマイカ出身のレゲエミュージシャン。その音楽はラスタファリ運動の思想を背景としており、彼の音楽・思想は、音楽関係者のみならず数多くの人々に多大な影響を与えている。「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」に於いて第19位にランクされた。

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1970年 ー

キングストン市ホープロード56番地に自身のスタジオ、レーベルであるタフ・ゴングを設立。

1972年 ー

アイランド・レコードと契約し、翌年メジャーデビューアルバム『キャッチ・ア・ファイア』をリリース。

1974年 ー

エリック・クラプトンがカヴァーしたマーリーの楽曲「アイ・ショット・ザ・シェリフ」が全米ビルボードチャート1位を獲得する。その後、バニー・ウェイラー、ピーター・トッシュがウェイラーズから脱退した。

1975年 ー

ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズとして新たに活動を開始する。

1976年 ー

プロデューサーのクランシー・エクルズらと共に人民国家党 (PNP)の政治キャンペーンに参加したことからマイケル・マンリー率いるPNPと、エドワード・シアガが率いるジャマイカ労働党 (JLP)の二大政党の対立抗争に巻き込まれ、12月3日に狙撃され重傷を負い、亡命を余儀なくされる。

1978年 ー

ジャマイカに舞い戻り、“One Love PeaceConcert” を開催する。このとき、コンサートを見に来ていたマイケル・マンリー(PNP)とエドワード・シアガ(JLP)の2人の党首をステージ上に招き、和解の握手をさせた。

1979年 ー

4月から日本、オーストラリア、ニュージーランドで公演を行った。さらにかねてからの念願であったラスタファリズムの聖地、エチオピアを訪問。このときの体験をもとにアルバム『サヴァイヴァル』を発表している。

1980年 ー

アフリカ訪問、さらにアルバム『アップライジイング』発売。

1981年 ー

5月11日 脳腫瘍を患いアメリカ・フロリダ州の病院で死去。36歳没。同月21日、キングストンにて国葬された。